【世界標準の経営理論】ゲーム理論:ビジネスの思考軸として活用する戦略的意思決定

「なぜ企業同士が価格競争に陥ってしまうのか?」「どうすれば競合他社に対して優位に立てるのか?」これらの疑問に科学的な答えを与えてくれるのが、ゲーム理論です。
入山章栄教授の「世界標準の経営理論」第8・9章では、ビジネスパーソンの思考の軸として極めて有用なゲーム理論の基礎概念と実践的応用について詳しく解説されています。欧米の主要MBAプログラムでは軒並みゲーム理論を教える科目があり、現代のビジネス戦略において不可欠な理論となっています。
ゲーム理論とは何か?
基本概念の理解
ゲーム理論とは、相手の行動を合理的に予想しながら、互いの意思決定行動の相互依存関係メカニズムとその帰結を分析する理論です。
具体的には:
- 「相手がある行動を取ったら、自分はどう行動するか」
- 「自分がある行動を取ったら、それに対して相手はどう行動するか」
このような戦略的思考を数理的に分析する手法です。
近代経済学における位置づけ
実は、近代経済学のほぼ全ての理論の背後にはゲーム理論の存在があります。経済学では一種の「数理的な言語ツール」として機能しており、この言語ツールを通じて様々な経済・ビジネス事象が記述されています。
第8章:同時ゲームとナッシュ均衡
クールノー競争:数量競争の分析
半導体市場でA社とB社が寡占状態にある場合を考えてみましょう。
4つのシナリオ:
戦略 | B社:現状維持 | B社:増産 |
---|---|---|
A社:現状維持 | シナリオ1 A社:15億円 B社:15億円 | シナリオ2 A社:15億円 B社:25億円 |
A社:増産 | シナリオ3 A社:25億円 B社:15億円 | シナリオ4 A社:17億円 B社:17億円 |
シナリオの解釈:
- シナリオ1:両社とも現状維持 → 各社15億円の利益
- シナリオ2:B社のみ増産 → B社が25億円、A社は15億円
- シナリオ3:A社のみ増産 → A社が25億円、B社は15億円
- シナリオ4:両社とも増産 → 供給過剰で各社17億円
ナッシュ均衡の導出
A社の立場から分析すると:
- B社が増産する場合:現状維持(15億円)vs 増産(17億円)→ 増産が有利
- B社が現状維持の場合:現状維持(15億円)vs 増産(25億円)→ 増産が有利
B社も同様の論理で増産を選択します。
結果: シナリオ4(両社とも増産)がナッシュ均衡となります。
ナッシュ均衡の特徴
1994年にノーベル経済学賞を受賞したナッシュによって定式化されたこの概念の特徴:
- 安定性:一度決まると変わらない
- 合理性:各プレイヤーが合理的に行動した結果
- 必ずしも最適ではない:全体最適(シナリオ1)より劣る場合がある
ベルトラン競争:価格競争の罠
今度は価格設定に焦点を当てたゲームを考えてみます。
戦略 | B社:現状維持 | B社:価格引き下げ |
---|---|---|
A社:現状維持 | シナリオ1 A社:15億円 B社:15億円 | シナリオ2 A社:3億円 B社:20億円 |
A社:価格引き下げ | シナリオ3 A社:20億円 B社:5億円 | シナリオ4 A社:5億円 B社:7億円 |
ベルトラン・パラドックス
同様の分析により、両社とも価格引き下げを選択することになります(シナリオ4)。
これはベルトラン・パラドックスと呼ばれ、以下の特徴があります:
- 直接的な顧客の奪い合い:価格引き下げで相手の顧客を直接奪取
- 非協力ゲームの制約:競争法により結託は困難
- 利益の大幅減少:寡占でも完全競争並みの利益率に
実際の事例
タバコ業界(フィリップモリス vs B・A・T): 値引き競争により両社の利益が大幅減収。タバコ消費量は17%増加したにも関わらず利益は減少。
宅配便業界(ヤマト運輸 vs 佐川急便): 平均単価が710円(2002年)から577円(2013年)まで低下。
牛丼業界: 各社の価格競争により業界全体の収益性が悪化。
第9章:逐次ゲームと戦略的コミットメント
同時ゲームから逐次ゲームへ
第9章では、交互に意思決定をする逐次ゲームについて解説されています。
逐次ゲームの特徴:
- リーダー(先手)とフォロワー(後手)に分かれる
- 先手が有利な状況を作り出せる可能性
- 同時ゲームとは異なるナッシュ均衡が生まれる
戦略的コミットメントの威力
リーダーが先手を取る際の重要なポイント:
1. 真の約束の実行
戦略的コミットメントは単なるブラフではなく、実際に「後に引かない覚悟」を示すことが必要です。
- パートナー企業への投資
- 設備への大規模投資
- 公的な宣言と具体的計画の発表
2. 戦略の性質による使い分け
戦略が代替的な場合(数量競争):
- リーダーは強気の戦略を取るべき
- フォロワーは供給過剰を避けるため弱気になる
- 例:生産量の増加宣言
戦略が補完的な場合(価格競争):
- リーダーは弱気の戦略を取るべき
- フォロワーも強気に出ると価格競争が激化
- 例:価格維持の宣言
実践事例:ボーイング vs エアバス
背景: 1980年代、両社が次世代大型機の開発を検討。同時開発による供給過剰のリスクが存在。
エアバスの戦略的コミットメント(1996年4月):
- 次世代大型機の事業化調査開始を発表
- 具体的な計画と共同開発企業からの協力を公表
- 「後に引かない覚悟」を明確に示した
結果:
- ボーイングは開発中止に追い込まれる
- エアバス380が市場を独占
- ボーイングは中型機(787)にシフト
フォーク定理:繰り返しゲームの威力
無限繰り返しゲームの効果
フォーク定理とは、無限に繰り返されるゲームにおいて、「競争を続けることは不毛であり、相手もそう考えているはず」という合理的判断により、価格競争を避ける暗黙の協調が生まれる現象です。
実例:アメリカのシリアル業界
5社による寡占市場での出来事:
- 過去に一度だけ価格競争が発生
- 全社が追従せざるを得ず、ベルトラン・パラドックスに陥る
- 業界全体の利益率が大幅に低下
- すぐに価格維持戦略に回帰
この経験により、業界では暗黙の了解で価格競争を避ける文化が定着しました。
社会現象もゲーム理論で説明可能
エスカレーターの立ち位置
東京 vs 大阪の違い:
地域 | 立ち位置 | ナッシュ均衡 |
---|---|---|
東京 | 左側に立つ | シナリオ1(両者左側) |
大阪 | 右側に立つ | シナリオ2(両者右側) |
共通点:
- どちらも安定したナッシュ均衡
- 一度決まると変わらない
- 合理的な空気の読み合いの結果
その他の社会現象
名刺交換の慣習: 「相手がうやうやしく名刺を出すなら、自分もそうしておこう」という合理的な判断の積み重ね
QWERTYキーボード配列: 歴史的偶然で決まったが、ナッシュ均衡として安定化
ベルトラン・パラドックスを回避する方法
1. 十分な差別化
製品やサービスの差別化により、直接的な価格競争を回避
2. ビジネス特性の活用
- 初期投資が多額なビジネス:クールノー競争になりやすい
- 供給量での競争:価格競争より予測可能
3. 長期的関係の構築
フォーク定理の効果を活用し、業界全体での暗黙の協調を図る
ビジネスパーソンへの実践的応用
ゲーム理論的思考フレームワーク
競争戦略を考える際の思考プロセス:
- プレイヤーの特定:誰が競争相手か?
- 戦略選択肢の洗い出し:取りうる行動は何か?
- ペイオフの分析:各シナリオでの利得は?
- ナッシュ均衡の予測:最終的にどうなるか?
- ゲームルールの変更可能性:同時→逐次に変えられるか?
戦略的コミットメントの実践
成功の条件:
- 具体性:曖昧な宣言ではなく具体的な行動
- 不可逆性:簡単には撤回できない投資や契約
- 可視性:競合他社に明確に伝わる形での実行
- 信頼性:実際に実行する能力と意志の証明
まとめ:戦略的思考の重要性
ゲーム理論がもたらす洞察
- 合理的な行動の帰結理解:なぜ価格競争に陥るのかの科学的説明
- 戦略的思考の体系化:相手の出方を考慮した意思決定手法
- ルール変更の可能性:同時ゲームを逐次ゲームに変える発想
- 長期的視点の重要性:繰り返しゲームにおける協調の価値
現代ビジネスへの示唆
戦略立案時の必須視点:
- 競合他社の合理的反応の予測
- 先手を取ることの戦略的価値
- 差別化による競争回避の重要性
- 業界全体の長期的利益の考慮
ゲーム理論は、単なる学術理論ではなく、現代のビジネス環境において実践的な戦略ツールとして活用できる重要な概念です。「この世の大体のことはゲーム理論で説明がつく」とまで言われるこの理論を思考の軸の一つとして理解しておくといいかもしれません。
競争の激しいビジネス環境において、ゲーム理論的思考は単なる知識ではなく、生き残るためのスキルと言えるでしょう。相手の行動を読み、自社に有利な状況を作り出すための科学的アプローチとして、ぜひ実践に活用してください。
参考文献:
- 入山章栄著『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社)