ベースアップと賃上げの展望:2030年に向けて経営者が押さえるべき賃金戦略の全貌

 日本企業の賃金政策は、2024年に歴史的な転換点を迎えました。33年ぶりとなる5%超の賃上げ率を記録し、長年にわたるデフレマインドからの脱却を印象づける結果となりました。ベースアップ率と賃上げ率は2025年も高水準を維持しており、2030年に向けてこの賃金上昇トレンドがどのように推移するのか、多くの経営者が注目しています。本記事では、これまでの賃上げの背景と実績を振り返りながら、2030年までの展望と経営戦略について詳しく解説します。

ベースアップと定期昇給の違いを理解する

 賃上げ率を正確に理解するためには、まずベースアップと定期昇給の違いを押さえておく必要があります。ベースアップとは、全従業員の基本給を一律に引き上げる施策であり、企業の賃金テーブル全体を底上げする効果があります。一方、定期昇給は年功序列や勤続年数に応じて個々の従業員の給与が段階的に上昇する仕組みです。

春闘などで公表される賃上げ率は、通常これら二つの要素を合算したものとなっています。2024年の連合最終集計によると、賃上げ率5.10%のうち、ベースアップ分(賃上げ分)は3.56%、残りが定期昇給相当分となっています。経営者としては、この内訳を理解することで、自社の賃金政策の方向性をより明確に定めることができます。

2020年から2025年までの賃上げ率の推移

 2020年以降の賃上げ率の推移を見ると、日本の労働市場が大きく変化していることが分かります。厚生労働省の民間主要企業春季賃上げ集計によると、2020年の賃上げ率は2.00%でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた2021年には1.86%まで低下しました。

 その後、2022年には2.20%とやや回復の兆しを見せ、2023年には3.60%と大幅に上昇しました。そして2024年には5.33%という33年ぶりの高水準を記録しています。

さらに2025年の春闘では5.46%と、2年連続で5%台の賃上げが実現されており、一時的な現象ではなく持続的なトレンドであることが明確になっています。

この急激な賃上げの背景には、複数の要因が複雑に絡み合っています。

 

 第一に、長期化する人手不足が企業に賃上げを促しています。パーソル総合研究所の労働市場の未来推計2030によれば、2030年時点で644万人の人手不足が発生すると予測されており、人材確保のための賃上げ圧力は今後も継続する見込みです。別の予測として、リクルートワークス研究所は2030年に約341万人、2040年には約1,100万人の労働力不足を見込んでおり、いずれの試算でも深刻な人手不足が予想されています。

 第二に、2022年4月以降継続している物価上昇が実質賃金の目減りを招き、労働者の生活を圧迫してきました。2024年から2025年にかけても消費者物価指数は前年比2.5%から3%程度の上昇が続いており、物価上昇に見合った賃上げが労使双方の共通認識となっています。

第三に、政府による賃上げ促進政策が企業行動に影響を与えています。新しい資本主義のグランドデザインでは、賃上げを成長戦略の要と位置づけ、税制優遇措置などを通じて企業の賃上げを後押ししています。

企業規模別の賃上げ格差の実態

 賃上げ率の全体平均だけを見ていては、経営判断を誤る可能性があります。実際には、大企業と中小企業の間に顕著な格差が存在しているからです。

 2024年の春闘において、経団連の集計によると、大手企業の平均賃上げ率は5.58%に達した一方で、従業員500人未満の中小企業の賃上げ率は4.01%にとどまりました。連合の最終集計でも、従業員300人未満の中小企業の賃上げ率は4.45%と、全体平均の5.10%を下回っています。

 この格差は、中小企業が直面する構造的な課題を反映しています。大企業は収益力が高く、価格転嫁も比較的容易であるため、賃上げの原資を確保しやすい環境にあります。しかし中小企業は、取引適正化や価格転嫁が十分に進んでおらず、賃上げの負担が経営を圧迫するリスクがあります。

中小企業の経営者にとって重要なのは、単に大企業の賃上げ率に追随するのではなく、自社の収益構造を見極めながら持続可能な賃上げ計画を策定することです。業種や地域による賃金水準の違いも考慮に入れ、同業他社や地域の賃金相場を参照しながら競争力のある賃金水準を設定する必要があります。

2025年の賃上げ動向と経営への示唆

 2025年の春闘は、2024年に引き続き高水準の賃上げが実現しています。連合の第1回回答集計によると、平均賃上げ率は5.46%となり、前年の5.28%(第1回集計時点)を上回る結果となりました。特筆すべきは、中小企業(従業員300人未満)の賃上げ率が5.09%と、33年ぶりに5%を超えたことです。

 この結果から読み取れる重要なポイントは、賃上げが一時的なトレンドではなく、構造的な変化として定着しつつあるということです。帝国データバンクの調査によれば、2025年度に賃上げを見込む企業は61.9%に達し、初めて6割を超えました。そのうちベースアップを実施する企業は56.1%と過去最高を更新しており、多くの企業が定期昇給だけでなくベースアップにも踏み切っている状況が明らかになっています。

 経営者としては、この流れを単なるコスト増として捉えるのではなく、人材戦略の転換点として位置づける必要があります。賃上げは短期的には利益を圧迫しますが、優秀な人材の確保と定着、従業員のモチベーション向上、そして生産性の向上につながる投資と考えるべきです。

2026年から2030年に向けた賃上げ環境の変化

 2026年以降、2030年に向けた賃上げ環境を考える上で、いくつかの重要な要素があります。まず、人手不足の深刻化は今後も継続します。前述の通り、パーソル総合研究所は2030年時点で644万人、リクルートワークス研究所は341万人の人手不足を予測しており、企業は人材確保のための競争を余儀なくされます。

 次に、政府は最低賃金の全国平均1500円という目標を2020年代に実現することを掲げています。2025年度の全国平均最低賃金は約1060円であり、目標達成には年平均7%以上の引き上げが必要となります。この動きは下限から賃金全体を押し上げる効果をもたらし、企業の賃金テーブル全体の見直しを迫ることになります。

 また、内閣府の中長期試算によれば、成長移行ケースでは2020年代後半に実質成長率が1%台半ば、名目成長率が2%台後半で推移すると予測されています。経済成長が持続する中で、企業収益の改善が賃上げの原資を生み出し、賃上げが消費を刺激してさらなる成長につながるという好循環の実現が期待されています。

 

 ただし、この展望には不確実性も存在します。世界経済の動向、為替変動、地政学リスクなどの外部要因が、日本経済の成長軌道に影響を与える可能性があります。また、デジタル化やAI導入による生産性向上がどの程度実現するかも、賃上げの持続可能性を左右する重要な要素です。

経営者が取るべき賃金戦略

 2030年に向けた賃上げ環境を踏まえ、経営者が取るべき戦略的アプローチをいくつか提示します。第一に、賃上げの原資確保のための収益力強化です。単に賃上げを実施するだけでなく、価格転嫁の適正化、付加価値の高い商品・サービスへのシフト、業務効率化によるコスト削減など、多面的な取り組みが必要です。

 第二に、生産性向上への投資です。政府の経済財政運営方針でも、飲食業、宿泊業、小売業など12業種で省力化投資促進プランが策定されています。DXの推進、AI・ロボットの導入、業務プロセスの見直しなどを通じて、少ない人員でも高い付加価値を生み出せる体制を構築することが求められます。

 第三に、賃金制度そのものの見直しです。年功序列型の賃金体系から、職務や成果に基づく賃金制度への転換を検討する企業も増えています。ベースアップと定期昇給のバランスを再考し、限られた原資を効果的に配分する仕組みづくりが重要です。

 第四に、非金銭的な報酬の充実です。賃上げだけでなく、柔軟な働き方、キャリア開発の機会、職場環境の改善など、総合的な従業員価値提案を強化することで、人材の確保と定着を図ることができます。

 第五に、中長期的な賃上げ計画の策定です。2024年と2025年の実績を踏まえ、自社の事業計画と連動させた賃金政策を策定し、従業員に対して透明性の高いコミュニケーションを行うことが信頼構築につながります。

まとめ:持続可能な賃上げに向けて

 2024年と2025年の2年連続5%超の賃上げは、日本の労働市場における歴史的な転換点を示しています。人手不足、物価上昇、政府の賃上げ促進政策という三つの要因が重なり、企業は賃上げを避けて通れない状況にあります。

 2030年に向けては、人手不足のさらなる深刻化、最低賃金の大幅な引き上げ、経済成長との好循環の形成など、賃上げを後押しする要因が継続すると見込まれます。経営者はこの「新常態」に適応した経営戦略を構築する必要があります。

 賃上げを単なるコスト増ではなく、人材への投資、生産性向上の契機、そして企業の持続的成長のための戦略的選択として位置づけることが重要です。賃上げの実現には、価格転嫁の適正化、生産性向上への投資、賃金制度の見直しなど、多面的な取り組みが求められます。

 中小企業にとっては厳しい環境が続きますが、同時に人材戦略の差別化によって競争優位を築くチャンスでもあります。経営者の皆様には、2030年までの中長期的な視点で賃金戦略を描き、持続可能な賃上げと企業成長の両立を目指していただきたいと思います。

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