企業価値を向上させるには|事業計画に必要なファイナンスの実践的アプローチ

 デジタルトランスフォーメーション(DX)が加速し、市場環境が急速に変化する現代において、企業には持続的な価値創造が強く求められています。経済産業省のDX推進施策が示すように、デジタル技術を活用した事業変革は、企業の競争力を左右する重要な要素となっています。

しかし、「企業価値を高める」とは具体的に何を意味し、どのような施策を実行すべきなのでしょうか。経営戦略、財務戦略、投資判断など、様々な要素が複雑に絡み合い、全体像を掴みにくいと感じるビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。

 松田千恵子氏の著書『コーポレートファイナンス実務の教科書』では、企業価値向上の方法を分かりやすく整理し、実務に活用できる形で解説しています。本記事では、同書の「事業計画に必要なファイナンス」の内容をベースに、企業価値を高める3つのアプローチを詳しく解説します。

特に、投資実行判断と投資撤退判断の精度を高める方法に焦点を当て、ビジネスパーソンが実務で活用できる知識を提供します。

第1章:企業価値とは何か──将来の稼ぐ力を測る

企業価値向上の具体策を論じる前に、まず「企業価値とは何か」を正確に理解する必要があります。

企業価値の定義

 コーポレートファイナンスにおいて、企業価値は「負債と資本のコストを勘案後の、その企業が生み出すキャッシュフローの現在価値の総和」などと定義されています。つまり、「投資家に支払うコストを引いたキャッシュベースの利益」といったイメージで捉えておくといいと思います。

 この定義が意味するのは、企業価値は過去の実績ではなく、将来の稼ぐ力によって決まるということです。どんなに過去の売上が高くても、将来のキャッシュフロー創出が見込めなければ、企業価値は低くなります。

キャッシュフローが重視される理由

 なぜ利益ではなくキャッシュフローなのでしょうか。理由は、会計上の利益には実際の資金の動きと一致しない要素が含まれるためです。

 例えば、売上を計上しても代金回収が未来であれば、手元に現金はありません。逆に、減価償却費は費用として計上されますが、実際の現金支出は発生しません。企業が投資や配当を行うには、会計上の利益ではなく、実際に使える現金が必要です。

だからこそ、企業価値を測る際には、実際に自由に使える資金=フリーキャッシュフローが重視されるのです。

第2章:企業価値向上の3つの方法──全体像の理解

 コーポレートファイナンスでは、企業価値を向上させる方法は大きく3つに分類されます。これらは相互に関連し合いながら、企業価値の最大化に寄与します。

①事業からのリターンを上げる

 第一の方法は、事業が生み出すキャッシュフローそのものを増やすことです。具体的には、売上を上げるか、費用を下げるかの2つに集約されます。

 売上向上の施策としては、新規顧客の獲得、既存顧客の単価向上、販売チャネルの拡大、新商品・サービスの開発などがあります。費用削減の施策としては、業務効率化、調達コストの削減、IT化による省力化などが挙げられます。

 このアプローチは比較的理解しやすく、多くの企業が日常的に取り組んでいる領域です。しかし、後述するように、単に会計上の利益を増やすだけでなく、キャッシュフローベースで考えることが重要です。

②事業にかかる元手をうまくかける

 第二の方法は、限られた経営資源(元手)を、最も価値を生む領域に集中投下することです。具体的には、投資実行判断と投資撤退判断を的確に行うことを意味します。

 どんなに潤沢な資金があっても、すべての投資機会に資源を投入することはできません。どの投資を実行し、どの事業から撤退するかという判断の巧拙が、企業価値を大きく左右します。約70%の日本企業が中期経営計画を策定していますが、投資判断の質には大きなばらつきがあります。

③元手にかかるコストを下げる

 第三の方法は、資金調達にかかるコスト、すなわち加重平均資本コスト(WACC:Weighted Average Cost of Capital)を低減することです。

 企業は、銀行借入(負債)や株式発行(資本)によって資金を調達します。負債には金利コストが、資本には株主が期待する収益率(資本コスト)がかかります。これらを加重平均したものがWACCであり、企業が資金調達に要する総合的なコストを表します。

WACCを下げる方法には、以下があります。

最適負債資本構成を考える
 負債と資本のバランス(資本構成)を最適化することで、WACCを最小化できます。一般に、負債は資本よりコストが低いため、ある程度負債を活用することでWACCは低下します。ただし、過度な負債は財務リスクを高め、逆に資本コストを押し上げる可能性があります。

情報開示を充実させる
 投資家に対する情報開示を充実させることで、投資家の判断材料がより良くなります。情報の不透明性が減ることで、投資家が要求する収益率(リスクプレミアム)が低下し、結果としてWACCが低減します。

 この3つの方法は単独で機能するのではなく、相互に補完し合います。投資判断の質が高まれば事業リターンが向上し、それが信用力向上を通じて資本コスト低減にもつながるという好循環が生まれるのです。

第3章:事業からのリターンを上げる──キャッシュフローベースで考える

 企業価値向上の第一の方法である「事業からのリターンを上げる」について、より深く掘り下げていきます。重要なのは、会計上の利益ではなく、キャッシュフローベースの利益で考えることです。

キャッシュフローベースの利益とは

 会計上の利益とキャッシュフローは、必ずしも一致しません。キャッシュフローベースで考える際、特に重要なのが以下の2点です。

①減価償却費は足し戻される

 減価償却費は、会計上は費用として利益を減らしますが、実際には現金の支出を伴いません。設備投資をした時点で既に現金は支出済みであり、減価償却はその投資額を会計ルールに従って各年度に配分しているに過ぎません。したがって、キャッシュフローを計算する際には、営業利益に減価償却費を足し戻す必要があります。

営業キャッシュフロー = 営業利益 + 減価償却費 – 税金 ± 運転資金増減

この考え方は、企業の実質的な資金創出力を把握する上でとても重要です。

(注:税務上の取り扱いは別途考慮が必要ですが、企業価値評価においては、このように減価償却費を足し戻してキャッシュフローを計算します)

②運転資金増減に配慮する

 もう一つ重要なのが、運転資金の増減です。運転資金とは、日常的な事業活動に必要な資金で、主に以下の要素で構成されます。

運転資金 = 売上債権 + 棚卸資産 – 仕入債務

 売上が急増すると、売掛金や在庫が増加し、運転資金が増えます。この運転資金の増加分は、会計上は利益に含まれていても、実際には現金として回収されていないため、キャッシュフローからは差し引かれます。

 逆に、売上債権の回収を早め、仕入債務の支払いを遅らせることで、運転資金を減らせば、キャッシュフローは改善します。ファイナンスの世界では「早く回収して遅く支払う」が最適解となっています。

実務への応用

 事業からのリターンを上げる際、以下の点に注意が必要です。

 売上を上げる施策を検討する際は、同時に運転資金への影響も考慮します。売上増加に伴い売掛金や在庫が急増すれば、キャッシュフローは悪化する可能性があります。

 費用を下げる施策では、単なるコストカットではなく、業務効率化やIT投資による構造的な費用削減を目指します。これにより、持続的なキャッシュフロー改善が実現します。

 設備投資の判断では、減価償却費を考慮した実質的なキャッシュフローへの影響を評価します。初期投資は大きくても、減価償却費の節税効果や生産性向上により、長期的にはキャッシュフローを増やす投資もあります。

キャッシュフローベースで事業を考えることで、真に企業価値を高める施策が見えてきます。


第4章:投資判断の重要性──限られた元手をどう活かすか

 企業価値向上の第二の方法である「事業にかかる元手をうまくかける」、すなわち投資判断の質を高めることについて解説します。

なぜ投資判断が企業価値を左右するのか

 企業が保有する経営資源──資金、人材、時間、経営者の注意力──はすべて有限です。すべての投資機会に資源を投入することはできません。だからこそ、「どこに投資し、どこから撤退するか」という判断が、企業価値を左右する最重要の経営判断となります。

 投資判断を誤ると、以下のような深刻な結果を招きます。

 投資実行判断の失敗は、収益性の低い事業への資源投入を意味します。これは直接的な損失だけでなく、より有望な投資機会を逃すという機会損失も生み出します。限られた資金を収益性の低い投資に使ってしまえば、本来投資すべき成長事業への資金が不足します。

 投資撤退判断の遅れも同様に深刻です。収益性の低い事業を延命させることで、キャッシュフローが流出し続け、経営資源が価値を生まない領域に固定化されます。経営者の時間とエネルギーも、本来価値を生まない領域に浪費されることになります。

日本企業における課題

 日本経済新聞の2024年9月の記事は、日本企業の間でROIC(投下資本利益率)経営への関心が高まっていると報じています。これは、投資の質を数値化し、客観的に評価しようという動きの表れです。

 しかし、多くの日本企業では、依然として投資判断が属人的であったり、撤退基準が曖昧であったりするケースが少なくありません。投資実行には積極的でも、撤退判断は先送りされがちです。

投資判断力を高めるために必要なこと

 投資判断の質を高めるためには、以下の要素が不可欠です。

 定量的な評価指標を用いて、主観や直感ではなく、データに基づいて判断することが重要です。次章以降で、具体的な評価指標を解説します。

 明確な判断基準を事前に設定することで、投資実行時に「どうなったら成功か、失敗か」が明確になります。これにより、撤退判断の先送りを防げます。

 投資後のモニタリング体制を整備し、定期的に投資の進捗と成果を評価します。問題の早期発見と迅速な対応が可能になります。

これらを組織に実装することで、投資判断力は着実に向上し、企業価値の向上につながります。


第5章:投資実行判断の評価指標①──NPV(正味現在価値)

 投資実行の可否を判断する際、コーポレートファイナンスでは主に3つの指標が用いられます。まずは、最も理論的に優れた指標とされるNPV(Net Present Value:正味現在価値)から解説します。

NPVとは何か

 NPVは「将来のキャッシュフローを現在価値に割り引いた合計から、初期投資額を差し引いた値」として定義されます。

計算式:NPV = Σ(将来CF ÷ (1 + r)^n) − 初期投資額

ここで、rは割引率(通常はWACCを使用)、nは年数を表します。

NPVの判断基準

NPVの判断基準は極めてシンプルです。

  • NPV > 0:投資実行すべき(資本コスト以上のリターンを生む)
  • NPV = 0:投資実行しても企業価値は変わらない(無差別)
  • NPV < 0:投資見送るべき(資本コストを下回り、企業価値を毀損)

複数の投資案がある場合、NPVが最も大きいプロジェクトを選択すれば、企業価値の最大化が実現できます。

NPVの優れた点と限界

 優れた点は、貨幣の時間価値を考慮し、絶対額で価値創造の大きさを示すことです。理論的には、NPV最大化=企業価値最大化が成立します。

 限界としては、将来キャッシュフローの予測精度に依存することです。予測が外れれば、NPVの計算結果も変わります。また、NPVは絶対額なので、投資規模が異なるプロジェクトの収益性を比較するには、次に紹介するIRRの方が分かりやすい場合があります。


第6章:投資実行判断の評価指標②──IRR(内部収益率)

IRRとは何か

 IRR(Internal Rate of Return:内部収益率)は、NPVをゼロにする割引率として定義されます。言い換えれば、「その投資プロジェクトが生み出す実質的な収益率」を表します。

数式で表すと、以下のようになります。

0 = Σ(将来CF ÷ (1 + IRR)^n) − 初期投資額

このIRRを求めるには、通常はExcelのIRR関数や財務電卓を使用します。

IRRの判断基準

IRRの判断基準は以下の通りです。

  • IRR > WACC(資本コスト):投資実行すべき
  • IRR = WACC:投資実行しても企業価値は変わらない
  • IRR < WACC:投資見送るべき

投資評価の実務においては、IRRは投資家や経営陣にとって理解しやすいというメリットがあります。「この投資は年率15%のリターンを生む」という表現は、NPVの絶対額よりも直感的に把握しやすいためです。

IRRの計算例

先ほどのNPVの例と同じ条件で考えます。

前提条件:

  • 初期投資額:1億円
  • 向こう5年間の年間キャッシュフロー:3,000万円

Excelで計算すると、このプロジェクトのIRRは約15.2%となります。WACCが8%であれば、IRR(15.2%) > WACC(8%)なので、投資実行すべきと判断されます。

IRRの優れた点と限界

 優れた点は、収益率という直感的に理解しやすい形で投資の魅力を示せることです。また、投資規模が異なるプロジェクトの収益性を比較する際にも有効です。

 限界としては、以下があります。

 第一に、複数の投資案を比較する際、IRRが高くてもNPVが小さいケースがあります。例えば、IRR20%だが投資額1,000万円のプロジェクトA(NPV200万円)と、IRR12%だが投資額10億円のプロジェクトB(NPV5,000万円)では、企業価値最大化の観点からはBを選ぶべきです。

 第二に、キャッシュフローのパターンによっては、IRRが複数存在したり、計算できなかったりするケースがあります。そのため、実務ではNPVを主軸としつつ、IRRで収益性を確認するという複眼的なアプローチが推奨されます。


第7章:投資実行判断の評価指標③──回収期間法

回収期間法とは

 回収期間法(Payback Period)は、初期投資額を回収するまでに要する期間を計算し、その長短で投資の良し悪しを判断する方法です。回収期間が短いほど投資のリスクが低いと評価されます。

回収期間の計算

計算は非常にシンプルです。毎年のキャッシュフローを累積していき、初期投資額に達するまでの期間を求めます。

計算例:

  • 初期投資額:5,000万円
  • 年間キャッシュフロー:1年目1,500万円、2年目1,800万円、3年目2,000万円

累積:

  • 1年後:1,500万円
  • 2年後:3,300万円(1,500万円 + 1,800万円)
  • 3年後:5,300万円(3,300万円 + 2,000万円)

3年目で初期投資を回収できるので、回収期間は約3年となります。

回収期間の判断基準

 回収期間の判断基準は、業界や企業規模、リスク特性によって異なります。

 製造業では設備投資の性質上、比較的長期の回収期間が許容される傾向があります。一方、IT業界やスタートアップでは、技術変化が速いため、短期回収が志向されます。

 資金繰りが厳しい中小企業や、不確実性の高い新興市場への投資においては、流動性リスクを重視する観点から回収期間を重要指標とするケースも多くあります。

回収期間法の優れた点と限界

 優れた点は、計算が簡単で理解しやすいことです。また、早期にキャッシュを回収できる投資を優先することで、流動性リスクを抑えられます。

 限界も明確です。

 第一に、回収期間法は回収後のキャッシュフローを無視します。回収期間が同じ3年でも、4年目以降も大きなキャッシュフローを生む投資と、3年で終わる投資では、明らかに前者の方が価値があります。

 第二に、貨幣の時間価値が考慮されていません。1年目に3,000万円回収する投資と、毎年1,000万円ずつ3年かけて回収する投資では、前者の方が価値が高いはずですが、回収期間法では区別できません。

そのため、実務上は、NPVを主軸としつつ、IRRで収益性を確認し、回収期間で流動性リスクを評価するという三位一体の判断をすることが多いようです

第9章:元手にかかるコストを下げる──加重平均資本コスト(WACC)の低減

 企業価値向上の第三の方法である「元手にかかるコストを下げる」について解説します。ここでいう元手にかかるコストとは、加重平均資本コスト(WACC:Weighted Average Cost of Capital)のことです。

WACCとは何か

 企業は、銀行借入などの負債(デット)と、株式発行による資本(エクイティ)によって資金を調達します。

負債には「金利コスト」が、資本には「株主が期待する収益率(資本コスト)」がかかります。これらを、負債と資本の構成比で加重平均したものがWACCです。WACCは企業が資金調達に要する総合的なコストを表します。

基本的な計算式:

WACC = (負債コスト × 負債比率) + (株主資本コスト × 株主資本比率)

より正確には、負債の利息は税務上損金算入できるため、税効果を考慮して以下のように計算します。

WACC = 負債コスト × (1 – 税率) × 負債比率 + 株主資本コスト × 株主資本比率

WACCを下げる意義

 WACCが低下すれば、同じキャッシュフローでも企業価値は高まります。

企業価値 = Σ(将来キャッシュフロー ÷ (1 + WACC)^n)

分母のWACCが小さくなれば、現在価値は大きくなり、企業価値が向上します。

また、投資判断においても、WACCが必要収益率として機能するため、WACCの低減は投資機会の拡大にもつながります。

 例えば、WACCが10%から8%に低下すれば、IRRが9%のプロジェクトも投資対象となり、成長機会が広がります。WACCが10%の時は見送られていた投資が、WACCが8%になることで実行可能になるのです。

WACCを下げる方法①:最適負債資本構成を考える

 負債と資本の比率(資本構成)を最適化することで、WACCを最小化できます。

 一般に、負債は資本よりコストが低い傾向があります。なぜなら、金利(例:3%)は、株主が期待する収益率(例:8%)よりも低いことが多いためです。これには2つの理由があります。

 第一に、負債は株式よりもリスクが低いことです。企業が倒産した場合、債権者は株主よりも優先的に弁済を受けられるため、債権者が要求するリターンは株主より低くなります。

 第二に、負債の利息には税効果があることです。利息は税務上損金算入できるため、実質的なコストは「金利 × (1 – 税率)」となり、さらに低くなります。したがって、ある程度負債を活用することでWACCは低下します。これをレバレッジ効果といいます。

レバレッジ効果の例:

ケースA(負債比率20%):

  • 負債コスト:3%、負債比率:20%
  • 株主資本コスト:7%、株主資本比率:80%
  • 税率:30%
  • WACC = 3% × 0.70 × 0.20 + 7% × 0.80 = 0.42% + 5.6% = 6.02%

ケースB(負債比率40%):

  • 負債コスト:3%、負債比率:40%
  • 株主資本コスト:8%、株主資本比率:60%
  • 税率:30%
  • WACC = 3% × 0.70 × 0.40 + 8% × 0.60 = 0.84% + 4.8% = 5.64%

 負債比率を20%から40%に高めることで、WACCは6.02%から5.64%に低下しました。

 ただし、過度な負債は財務リスクを高めます。負債比率が上がりすぎると、倒産リスクが高まり、債権者も株主もより高いリターンを要求するようになります。上記の例でも、ケースBの方が株主資本コストが7%から8%に上昇していることに注目してください。負債比率がさらに高まれば、負債コスト自体も上昇し始め、結果としてかえってWACCが上昇する可能性があります。

 したがって、WACCが最小となる最適な負債資本構成を見極めることが重要です。これは業種、事業の安定性、キャッシュフローの予測可能性などによって異なります。

 安定したキャッシュフローを生み出す成熟企業(例:電力会社、通信会社)は、比較的高い負債比率を維持できます。一方、事業の変動が大きいベンチャー企業や成長企業は、財務の柔軟性を保つため、負債比率を低めに抑える傾向があります。

WACCを下げる方法②:情報開示を充実させる

 投資家に対する情報開示を充実させることも、WACCの低減に寄与します。

 投資家は、企業に関する情報が不足していると、不確実性を高く見積もり、より高いリターン(リスクプレミアム)を要求します。「この会社は何をしているのか分からない」「将来の見通しが不透明だ」と感じれば、投資家はリスクを高く評価し、株主資本コストが上昇します。

 逆に、情報開示が充実していれば、投資家の判断材料がより良くなります。事業戦略、財務状況、リスク要因、将来見通しなどが明確に開示されていれば、投資家は企業をより正確に評価でき、不確実性が減少します。

結果として、投資家が要求するリスクプレミアムが低下し、株主資本コストが下がり、WACCが低減します。

効果的な情報開示の具体例

情報開示の充実には、以下のような施策があります。

決算説明資料の充実
 四半期ごとの決算発表時に、単なる数値の報告だけでなく、事業環境の分析、戦略の進捗状況、今後の見通しなどを分かりやすく説明します。特に、投資家が関心を持つKPI(重要業績評価指標)を継続的に開示することで、事業の進捗を可視化できます。

中期経営計画の開示
 3〜5年の中期経営計画を策定し、公表することで、企業の目指す方向性と具体的な数値目標を示します。これにより、投資家は企業の将来像を描きやすくなります。

IR活動の強化
 機関投資家や個人投資家との対話の機会を増やし、企業の戦略や財務状況について直接説明します。投資家からの質問に丁寧に答えることで、信頼関係が構築され、情報の非対称性が減少します。

リスク情報の開示
 事業に関わるリスク要因を明確に開示することも重要です。一見ネガティブに思えますが、リスクを正直に開示する企業は、投資家から「誠実で信頼できる」と評価され、長期的には資本コストの低減につながります。

コーポレートガバナンスの強化
 取締役会の構成、社外取締役の役割、内部統制システムなど、企業統治の仕組みを明確にすることで、投資家の信頼を得られます。ガバナンスがしっかりしている企業は、経営の透明性が高いと評価されます。

第10章:まとめ──企業価値向上の実践に向けて

 本記事では、松田千恵子氏の『コーポレートファイナンス実務の教科書』をベースに、企業価値を向上させる3つの方法を詳しく解説してきました。最後に、重要なポイントを整理したいと思います。

企業価値向上の3つの方法:再確認

 企業価値は、将来キャッシュフローの現在価値として定義されます。その向上には、以下の3つのアプローチがあります。

①事業からのリターンを上げる
 売上を上げるか、費用を下げることで、事業が生み出すキャッシュフローを増やします。重要なのは、会計上の利益ではなく、キャッシュフローベースで考えることです。減価償却費は足し戻され、運転資金の増減にも配慮する必要があります。「早く回収して遅く支払う」という運転資金マネジメントが、実質的なキャッシュフロー改善につながります。

②事業にかかる元手をうまくかける
 限られた経営資源を、最も価値を生む領域に集中投下することです。投資実行判断では、NPV、IRR、回収期間という3つの評価指標を複眼的に活用します。特にNPVが最も使われており、企業価値最大化の観点から主軸となっている指標です。

 投資撤退判断も同様に重要であり、明確な撤退基準に基づいて機動的に判断することが求められます。

③元手にかかるコストを下げる
 資金調達にかかるコスト、すなわち加重平均資本コスト(WACC)を低減することです。最適な負債資本構成を考えることで、レバレッジ効果を活かしつつリスクを抑えられます。また、投資家への情報開示を充実させることで、投資家の判断材料がより良くなり、リスクプレミアムが低下し、結果としてWACCが低減します。

3つの方法の相互関連性

 これら3つの方法は、単独で機能するのではなく、相互に補完し合います。

 投資判断の質が高まれば、収益性の高い事業への資源集中が実現し、事業リターンが向上します(②と①の連携)。事業リターンの向上は、キャッシュフロー創出力を高め、財務の安定性を向上させます。

財務の安定性向上は、信用力を高め、負債コストの低下や株主資本コストの低下を通じて、WACCの低減につながります(①と③の連携)。

 WACCが低下すれば、投資判断のハードルレートが下がり、より多くの投資機会が実行可能になります。これにより、成長機会が拡大し、さらなる事業リターンの向上が期待できます(③と②と①の好循環)。

このように、3つの方法は相互に強化し合い、企業価値向上の好循環を生み出すのです。一つの方法だけに注力するのではなく、バランスよく取り組むことが重要です。


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