【世界標準の経営理論】センスメイキング理論:VUCA時代に「意味」を創り、組織を導く

入山章栄教授の「世界標準の経営理論」第23章で扱われるセンスメイキング理論は、VUCA時代(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性の時代)のリーダーシップにとって最も重要な理論です。なぜ優秀なリーダーは混乱した状況で的確な判断ができるのか?どうすれば不確実な状況でチームを正しい方向に導けるのか?実践的な活用法とともに詳しく解説します。
センスメイキング理論とは何か?
定義:混沌から意味を創り出すプロセス
センスメイキング(Sensemaking)とは、組織のメンバーや利害関係者が複雑で曖昧な状況に直面した時に、その状況に意味づけを行い、納得・腹落ちさせ、行動につなげるプロセスのことです。
直訳すると「意味づけ」や「納得性の創出」となりますが、単なる状況理解を超えて、混乱した現実に秩序と方向性を与える能力と言えるでしょう。
なぜ今センスメイキングが重要なのか
1. VUCA時代の複雑性
現代のビジネス環境は:
- Volatility(変動性): 市場が急激に変化する
- Uncertainty(不確実性): 将来が予測できない
- Complexity(複雑性): 要因が絡み合っている
- Ambiguity(曖昧性): 何が正解かわからない
このような環境では、従来の論理的分析だけでは限界があります。
2. 多義性の増大
同じ出来事でも、人によって全く違う解釈をするため、組織内で解釈のバラツキ(多義性)が生まれやすくなっています。
具体例:コロナ禍での企業対応
- 「危機だ、コストを削減しよう」
- 「チャンスだ、新しい事業を始めよう」
- 「様子を見よう、何もしない方が安全」
同じ状況でも、これだけ解釈が分かれるのが現実です。
3. AIでは代替できない人間の能力
AIは論理的分析は得意ですが、文脈の理解や意味の創出、他者への納得感の提供は苦手です。まさにセンスメイキングは人間だけの能力なのです。
センスメイキング理論の哲学的背景
実証主義 vs 相対主義
センスメイキング理論を理解するためには、まず2つの世界観を知る必要があります。
実証主義の世界観
- 「客観的な真実が一つ存在する」
- データを正確に分析すれば、誰でも同じ結論に到達
- 自然科学や従来の経済学のアプローチ
- 安定した環境では有効
相対主義の世界観
- 「人それぞれ異なる認識フィルターを持つ」
- 同じ事実でも、見る人によって意味が変わる
- 文脈や経験によって解釈が決まる
- 変化が激しい環境で重要
センスメイキングは相対主義に基づく
センスメイキング理論は相対主義的立場を取ります。つまり:
- 絶対的な「正解」は存在しない
- 重要なのは「正確性」よりも「納得性」
- 多様な解釈を統合することが組織の役割
- ストーリーや意味づけが現実を創り出す
センスメイキングの3つのプロセス
プロセス1:環境の感知(Enactment)
感知すべき3つの環境
1. 危機的状況
- 市場の大幅な低迷
- 競合他社の攻勢
- 急速な技術変化
- 天変地異、企業スキャンダル
2. アイデンティティへの脅威
- 自社の強みが陳腐化
- 「我々は何の会社なのか」がわからなくなる
- 事業の存在意義への疑問
3. 意図的な変化
- 新規事業の創造
- イノベーション投資
- 戦略的変革
実例:ソニーのアイデンティティ危機
2000年代のソニーでは、デジタル化の波で製造業部門が低迷し、金融事業で収益を上げるようになりました。その結果:
- ある社員:「ソニーは広くイノベーションを追求する会社」
- 別の社員:「ソニーはエレキ(電気機械)の会社でなければならない」
同じ会社でも「ソニーらしさ」の解釈が分裂していたのです。
プロセス2:解釈を揃える(Organization)
多義性の問題
相対主義を前提とすると、人は認識フィルターを通してしか物事を見られません。そのため、同じ環境でも人によって解釈が全く異なるという「多義性」が生まれます。
組織化の重要性
この多義性を放置すると、組織として統一された行動が取れません。そこで必要なのが「解釈を揃える」プロセス(組織化)です。
組織化の手順:
- 多様な解釈の中から特定のものを選別
- それに意味づけを行う
- 周囲にそれを理解させる
- 納得・腹落ちしてもらう
- 組織全体の解釈の方向性を揃える
ストーリーテリングの重要性
ここで重要になるのが「ストーリー」です。なぜなら:
- 論理的説明だけでは人は動かない
- 感情に訴える物語が必要
- 納得感を生み出すのはストーリーの力
- 未来への希望と方向性を示せる
プロセス3:行動による環境への働きかけ(Enactment)
行動が現実を変える
センスメイキング理論の最も重要な洞察は、「行動することで環境が変わり、新しい情報が得られる」ということです。
行動の循環プロセス:
- なんとなくの方向性で行動
- 環境に働きかける
- 新しい情報を感知
- 解釈を更新
- さらなる行動
イナクトメント:行動による現実創造
イナクトメント(Enactment)とは、行動によって環境に働きかけ、現実を創り出すことです。
重要なポイント:
- 完璧な計画を待つのではなく、まず行動する
- 行動しながら学習し、軌道修正する
- 行動することで新しい可能性が生まれる
セルフ・フルフィリング:「未来は本当に創り出せる」
センスメイキングの最も強力な効果
センスメイキング理論の核心は、「大まかな意思・方向性を持ち、それを信じて進むことで、客観的に見れば起きえないはずのことを起こす力を人は持つ」という発見です。
これをセルフ・フルフィリング(自己成就)と呼びます。
実例:ハンガリー軍の奇跡
有名な事例があります。第一次世界大戦中、ハンガリー軍の偵察隊がアルプス山脈で道に迷い、吹雪で遭難しそうになりました。
状況:
- 場所:アルプス山脈
- 持っていた地図:ピレネー山脈の地図(全く違う場所)
- 隊員たちの判断:「この地図があれば帰れる」
結果:
- 間違った地図を頼りに行動
- なぜか無事に帰還に成功
- 後で地図の間違いが判明
教訓:
- 客観的には不可能なことでも、信じて行動すれば実現することがある
- 完璧な情報より、行動への意志の方が重要な場合がある
優秀なリーダーのセンスメイキング実践例
日本電産・永守重信氏のストーリーテリング
永守氏は「自家用ドローン時代」という壮大なストーリーを語ります:
ストーリーの構成:
- 未来像:「人がドローンで通勤する時代が来る」
- 市場予測:「自家用ドローンが世界中にあふれる」
- 自社の位置:「日本電産は世界のモーター市場の8割を占める」
- 結論:「自家用ドローン市場の成長で10兆円企業も夢ではない」
このワクワクするストーリーがあるからこそ、投資家はM&Aを繰り返す同社に資金提供を続けるのです。
ソニー・平井一夫氏の「感動会社」戦略
2012年に社長に就任した平井氏は、「ソニーとは何の会社か?」という問いに対して:
「一言でいうと『感動会社』だ。エレキ、金融、エンタメそれぞれで、(消費者に)感動をお届けする会社だ」
この一言で:
- 多様な事業ドメインに統一感を与えた
- 社員のアイデンティティを統合した
- 復活への道筋を示した
実践的なセンスメイキング手法
1. 状況感知のチェックリスト
危機の兆候を見逃さない:
- 市場環境の急激な変化はないか?
- 顧客のニーズに変化はないか?
- 競合他社の動きに異変はないか?
- 社内のモチベーションに変化はないか?
アイデンティティの揺らぎを察知:
- 「我々は何の会社か?」に明確に答えられるか?
- 社員が誇りを持って会社を語れるか?
- 事業の存在意義を説明できるか?
2. 解釈統合のための会議運営
多様な視点を集める会議設計
参加者の多様性を確保:
- 異なる部門から参加者を選ぶ
- 年齢・経験の違う人を混ぜる
- 外部の視点も取り入れる
議論のプロセス:
- 状況の共有:何が起きているかの事実確認
- 解釈の発散:それぞれの見方を出し合う
- 解釈の収束:共通する意味づけを見つける
- ストーリー化:納得できる物語として整理
- 行動への合意:次に何をするかを決める
3. ストーリーテリングの技術
効果的なストーリーの構成要素
1. 現状認識:
- 「今、我々はこういう状況にいる」
- 具体的で共感できる現状描写
2. 問題提起:
- 「しかし、このままでは…」
- 危機感や緊急性の演出
3. 解決策の提示:
- 「だからこそ、我々は…」
- 希望と具体的な方向性
4. 未来のビジョン:
- 「そうすれば、将来は…」
- ワクワクする未来像の描写
5. 行動への呼びかけ:
- 「みんなで一緒に…」
- 具体的なアクションへの誘導
ストーリーテリングの実践テクニック
感情に訴える要素:
- 個人的な体験談を織り込む
- 具体的なエピソードを使う
- 聞き手の立場に立った表現
論理的な裏付け:
- データや事実で補強
- 成功事例を引用
- 段階的な論理展開
4. 行動設計の方法
スモールスタートの原則
完璧を求めず、まず始める:
- 100点の計画を待たない
- 60点で実行を開始
- 行動しながら改善
実験的アプローチ:
- 小規模でテストする
- 結果を観察・分析
- 学習して次のアクションへ
学習サイクルの設計
定期的な振り返り:
- 週次・月次のレビュー会議
- 何がうまくいったか?
- 何を改善すべきか?
- 次に何をするか?
仮説検証プロセス:
- 仮説設定:「〜だと思う」
- 実験設計:「〜を試してみる」
- 結果測定:「実際には〜だった」
- 学習適用:「だから次は〜する」
危機管理におけるセンスメイキング
緊急事態での意思決定
情報不足下での判断原則
80%の情報で決断:
- 完璧な情報を待たない
- 方向性を決めて動く
- 修正しながら進む
ワーストケースの想定:
- 最悪の場合を考える
- それでも生き残れる選択肢を選ぶ
- リスクを管理しながら行動
チーム結束のためのコミュニケーション
透明性の確保:
- 隠さず、事実を共有
- 不確実なことは不確実と伝える
- 憶測ではなく事実を基に話す
希望の提示:
- 困難な状況でも未来への道筋を示す
- 小さな成功も評価・共有
- チーム一丸となれるビジョンを語る
イノベーション創出におけるセンスメイキング
新規事業開発への応用
不確実性を味方にする
仮説思考:
- 完璧な事業計画ではなく、検証可能な仮説を立てる
- 顧客ニーズの仮説
- ビジネスモデルの仮説
- 市場規模の仮説
リーンスタートアップ的アプローチ:
- 仮説構築:顧客の課題を想像
- MVP作成:最小限のプロダクト開発
- 検証実験:実際の顧客でテスト
- 学習改善:結果から次のアクションを決定
社内でのセンスメイキング
新規事業の意味づけ:
- なぜこの事業が必要なのか?
- 会社の将来にどう貢献するのか?
- 社員にとってどんな価値があるのか?
ストーリーでの説得:
- 市場の変化ストーリー
- 顧客の困りごとストーリー
- 解決策の価値ストーリー
- 成功後の未来ストーリー
組織変革におけるセンスメイキング
変革への抵抗を乗り越える
現状認識の共有
危機感の醸成:
- 現状維持のリスクを明確にする
- 外部環境の変化を共有
- 競合他社の動向を分析
変革の必要性の物語化:
- なぜ変わらなければならないのか?
- 変わらないとどうなるのか?
- 変わることでどんな未来が待っているのか?
新しいアイデンティティの創造
新しい会社像の定義:
- 変革後の会社はどんな会社か?
- 社員はどんな働き方をするのか?
- 顧客にどんな価値を提供するのか?
移行期のサポート:
- 変化への不安に寄り添う
- 小さな成功を積み重ねる
- 新しい文化を体験できる機会を作る
センスメイキング能力の向上方法
個人スキルの開発
1. 多角的思考力の養成
異なる視点を意識的に取る:
- 顧客の立場で考える
- 競合他社の立場で考える
- 5年後の自分の立場で考える
「なぜ?」を5回繰り返す:
- 表面的な理由で満足しない
- 本質的な原因を探る
- 深いレベルでの理解を目指す
2. ストーリーテリング能力の向上
日常的な練習:
- 会議での報告をストーリー形式にする
- プレゼンに起承転結を意識する
- 他者の体験談を聞く習慣をつける
感情と論理のバランス:
- データだけでなく、体験談も織り込む
- 論理的な流れを保ちつつ、感情に訴える
- 聞き手の立場に立った表現を心がける
組織能力の向上
1. 多様性の確保
採用戦略:
- 異なる背景を持つ人材を積極採用
- 多様な経験・価値観を重視
- 同質的な組織からの脱却
チーム編成:
- 部門横断的なプロジェクトチーム
- 年齢・経験の違うメンバー構成
- 外部人材の活用
2. 学習する組織の構築
振り返り文化の醸成:
- 定期的なレトロスペクティブ(振り返り)会議
- 失敗から学ぶ文化
- 成功要因の分析と共有
実験的取り組みの奨励:
- 小さな実験を歓迎する
- 失敗を責めない文化
- 学習を評価する制度
まとめ:センスメイキングで不確実な時代を勝ち抜く
センスメイキング理論の核心
- 現実は一つではない:人それぞれ異なる解釈を持つ
- 納得性が重要:正確性よりも、みんなが腹落ちすることが大切
- ストーリーの力:物語によって人は動かされる
- 行動が現実を創る:まず行動することで新しい現実が生まれる
- 未来は創り出せる:信じて行動すれば、不可能が可能になる
実践のための5つのステップ
- 状況を感知する:変化の兆候を敏感に察知する
- 多様な解釈を集める:異なる視点を積極的に取り入れる
- ストーリーで意味づけする:納得できる物語として整理する
- チームの合意を形成する:みんなが腹落ちするまで対話する
- 行動して学習する:完璧を求めず、まず動いて改善する
VUCA時代のリーダーシップ
不確実で複雑な時代だからこそ、センスメイキング能力がリーダーの差別化要因となります。
求められるリーダー像:
- 混沌とした状況に意味を見出せる
- 多様な解釈を統合できる
- 魅力的なストーリーを語れる
- チームを納得させ、行動に導ける
- 失敗を恐れず、挑戦し続けられる
AI時代における人間の価値
人工知能がどんなに発達しても、センスメイキングは人間だけの能力です。
人間だけができること:
- 文脈の深い理解
- 感情に訴える物語の創造
- 他者への共感と説得
- 意味の創出と価値観の共有
- 不確実性の中での直感的判断
センスメイキング理論を理解し実践することで、どんな混乱した状況でも、チームに希望と方向性を与える真のリーダーになることができるのです。
「未来は創り出せる」―これは決して妄想ではなく、センスメイキングの力によって実現可能な、科学的に裏付けられた真実なのです。
参考文献: 入山章栄著『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)第23章 センスメイキング理論
関連理論との関係: センスメイキング理論は、リーダーシップ理論、意思決定理論、組織学習理論、ダイナミック・ケイパビリティ理論などと密接に関連し、これらを統合的に理解する上で重要な理論的基盤となります。