2026年に向けた人的資本開示:企業が準備すべき新たな義務化項目

人的資本開示の現状:義務化から3年目を迎えて

人的資本の情報開示は、2023年3月期決算から上場企業を対象に義務化されました。金融商品取引法第24条に基づき、有価証券報告書を発行する大手企業約4,000社が対象となっています。この制度改正により、企業は有価証券報告書内に「サステナビリティに関する考え方及び取組」という新しい記載欄を設けることが求められるようになりました。

開示が義務化されてから3年目を迎えた現在、多くの企業が人材育成方針や多様性に関する取り組みを記載するようになっています。具体的には、女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差といった指標が開示されています。これらの指標は、女性活躍推進法や育児・介護休業法に基づく公表義務がある企業において、有価証券報告書でも開示が必要とされています。

しかし、現状の開示内容は人事制度や施策を列挙するにとどまっている企業も少なくありません。投資家からは、企業戦略と人材戦略の関連性がより明確に示されることが期待されています。このような背景から、金融庁は2026年3月期から人的資本開示のさらなる拡充を求める方針を示しています。

2026年3月期から拡充される開示内容

金融庁は2025年8月26日に開催された金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループにおいて、2026年3月期の有価証券報告書から適用される人的資本開示の拡充案を提示しました。この改正案は2025年内に内閣府令の改正として公表され、パブリックコメントを経て正式に決定される予定です。

企業戦略と人材戦略の統合開示

最も重要な変更点は、企業戦略と関連付けた人材戦略の方針を明記することが求められる点です。これまで有価証券報告書では「従業員の状況」や「サステナビリティに関する考え方及び取組」など、複数の箇所に分散して記載されていた従業員関連の情報を整理し、企業の成長戦略との関連性を明確に示すことが必要になります。

例えば、日経ビジネスの報道によれば、企業は自社の中長期的な事業戦略を実現するために、どのような人材を確保・育成し、どのような組織文化を醸成していくのかという戦略的な視点での開示が期待されています。単なる人事施策の羅列ではなく、経営戦略の一環としての人材戦略を投資家に伝えることが重要です。

平均年間給与の前年比増減率の開示

2026年3月期からは、従業員の平均年間給与について、これまでの単年度実績に加えて対前事業年度比(増減率%)の開示が義務付けられます。この変更により、企業の賃上げへの取り組みが時系列で可視化されることになります。

金融庁の説明資料によれば、平均給与の増減率を開示することで、企業が従業員への投資をどの程度行っているかが明確になります。政府が推進する賃上げ政策とも連動した制度改正であり、企業の人的資本への投資姿勢が評価される重要な指標となります。

従業員給与・報酬の決定方針の開示

新たに追加される開示項目として、従業員の給与・報酬の決定に関する方針も求められます。これは、企業がどのような考え方に基づいて従業員の処遇を決定しているのかを明らかにするものです。成果主義の導入状況、職務給の採用、市場水準との比較など、報酬制度の透明性向上が目的とされています。

また、これまで「株式等の状況」に含まれていた役職員向けのストックオプションや株式所有制度の内容は、「従業員の状況」へと統合されることになります。これにより、従業員への報酬や処遇に関する情報が一元化され、投資家にとって理解しやすい開示となります。

内閣官房が示す7分野19項目の開示指針

人的資本開示において参考となるのが、内閣官房が2022年8月に公表した「人的資本可視化指針」です。この指針では、投資家との対話に資する人的資本情報の開示について、7分野19項目の具体的な項目が示されています。

人材育成分野における開示項目

人材育成分野では、リーダーシップ、育成、スキル・経験の3項目が示されています。企業は従業員の能力開発にどれだけの投資を行っているか、研修時間や研修費用といった定量的な指標とともに、育成プログラムの内容や効果を開示することが推奨されています。

具体的には、管理職候補の育成プログラム、デジタルスキル向上のための取り組み、専門性を高めるための資格取得支援などが開示事例として見られます。また、トレーニングへの投資が収益力の強化にどのように貢献しているかという、投資対効果の観点も重要視されています。

エンゲージメント分野の重要性

従業員エンゲージメントは、従業員が企業のビジョンや価値観にどの程度共感し、主体的に業務に取り組んでいるかを示す指標です。エンゲージメントスコアの測定や、従業員満足度調査の結果を開示する企業が増えています。

高いエンゲージメントは、生産性の向上、離職率の低下、イノベーションの創出につながることが知られています。そのため、投資家にとっても企業の持続的成長を評価する上で重要な情報となります。

流動性分野での採用・離職の開示

流動性分野では、採用、維持、離職・定着の3項目が示されています。新規採用者数、離職率、平均勤続年数といった指標を通じて、企業の人材獲得力や職場環境の魅力度が評価されます。

特に離職率については、自発的離職と非自発的離職を区別して開示することで、企業の人材マネジメントの質をより正確に示すことができます。また、重要なポジションでの後継者計画(サクセッションプラン)の状況も、投資家が注目する情報となっています。

ダイバーシティ分野の開示強化

ダイバーシティ分野では、ダイバーシティ、非差別、育児休業の3項目が含まれます。2023年3月期から義務化された女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差は、この分野の中核をなす指標です。

これらの指標に加えて、外国人従業員の比率、障がい者雇用率、年齢構成などを開示する企業も増えています。多様な人材が活躍できる環境整備は、イノベーション創出や市場適応力の向上につながるため、企業価値向上の観点からも重要視されています。

健康・安全とコンプライアンス分野

健康・安全分野では、精神的健康、身体的健康、安全の3項目が示されています。労働災害発生率、健康診断受診率、ストレスチェックの実施状況などが開示されます。従業員の健康と安全を守ることは、企業の社会的責任であるとともに、生産性向上の基盤でもあります。

労働慣行分野では、労働慣行、児童労働・強制労働、賃金の公正性の3項目が、コンプライアンス・倫理分野では、汚職・贈賄防止などが含まれます。これらは企業のリスクマネジメント体制を示す重要な情報として位置づけられています。

国際基準ISO30414との整合性

人的資本開示に関する国際的なガイドラインとして、ISO30414が注目されています。2018年に国際標準化機構(ISO)が発表したこの基準は、11領域58指標で構成されており、組織の人的資本に関する情報を社内外のステークホルダーに開示するための指針を提供しています。

ISO30414の11領域には、コンプライアンスと倫理、コスト、ダイバーシティ、リーダーシップ、組織文化、組織の健全性、生産性、採用・異動・離職、スキルと能力、後継者計画、労働力の確保などが含まれています。日本の人的資本開示制度は、このISO30414とも整合性を持つように設計されており、グローバルな投資家との対話を円滑にする役割を果たしています。

実際に、一部の日本企業はISO30414の認証を取得し、国際水準での人的資本管理と開示を行っていることをアピールしています。これは、グローバル市場での競争力を高める戦略としても有効です。

企業が取り組むべき準備事項

2026年3月期からの開示拡充に向けて、企業は以下のような準備を進める必要があります。

まず、経営戦略と人材戦略の連携を明確にすることです。事業計画や中期経営計画において、人材戦略がどのように位置づけられているかを整理し、具体的な施策と指標を紐付けることが求められます。経営層と人事部門が協働して、戦略的な人材マネジメントの体制を構築することが重要です。

次に、データ収集・管理体制の整備が必要です。平均年間給与の前年比増減率の開示には、複数年度にわたるデータの正確な把握が不可欠です。人事システムの見直しや、グループ会社を含めたデータ集約の仕組みを整備することが推奨されます。

また、開示内容の質を高めるために、先進企業の事例を研究することも有効です。大和総研の分析によれば、好事例企業に共通するのは、定量指標だけでなく定性的な説明を丁寧に行っている点、人的資本への投資と企業業績との関連性を示している点、経年変化を追跡できる形で情報を提供している点などです。

投資家との対話における人的資本開示の意義

人的資本開示の本質的な目的は、投資家との建設的な対話を促進することにあります。企業価値の評価において、無形資産である人的資本の重要性が高まる中、投資家は企業の人材戦略や組織能力に関する情報を重視するようになっています。

金融庁の調査によれば、海外投資家は人的資本開示において、経営戦略との整合性、指標の具体性、開示内容の継続性などを特に重視しています。単に法令で求められる最低限の情報を開示するだけでなく、自社の強みや差別化要因を積極的にアピールすることが、投資家からの評価向上につながります。

また、人的資本開示は資本市場だけでなく、労働市場においても重要な役割を果たします。優秀な人材の獲得競争が激化する中、人材育成や働きがいのある職場環境づくりへの取り組みを開示することは、採用ブランディングの観点からも有効です。

まとめ:2026年に向けた準備を今から

2026年3月期から適用される人的資本開示の拡充は、企業にとって単なる規制対応ではなく、経営の質を高める機会として捉えるべきです。企業戦略と人材戦略を統合的に示し、従業員への投資姿勢を明確にすることで、投資家からの信頼を獲得し、優秀な人材を惹きつけることができます。

内閣府令の改正案は2025年内に公表される予定であり、企業は早期に準備を開始することが推奨されます。経営層、人事部門、IR部門が連携し、戦略的な人的資本開示の体制を構築することが、持続的な企業価値向上につながるでしょう。

人的資本経営への取り組みは、日本企業が競争力を高め、社会からの信頼を得るための重要な経営課題となっています。2026年に向けて、各企業が自社の特性に合った開示のあり方を追求し、実効性のある人材戦略を推進していくことが期待されます。

参考文献

本記事の作成にあたり、最新の信頼できる情報源から事実確認を行いました。主な参考資料は以下の通りです:


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