気候リスクに挑む「流域治水」:気候変動時代の新たな水害対策の全貌と実践例

はじめに

近年、日本各地で豪雨による水害が頻発し、甚大な被害をもたらしています。平成30年7月豪雨や令和元年東日本台風など、従来の対策では対応しきれない規模の災害が相次いでいます。このような状況を受け、国は従来の河川中心の治水対策から「流域治水」という新たな考え方へと方針を転換しました。本記事では、流域治水の概念やその重要性、具体的な取り組み事例について詳しく解説します。

流域治水とは?基本的な考え方

流域治水とは、気候変動の影響による水災害の激甚化・頻発化を踏まえ、堤防の整備やダムの建設・再生などの対策をより一層加速するとともに、集水域(雨水が河川に流入する地域)から氾濫域(河川等の氾濫により浸水が想定される地域)にわたる流域全体で、あらゆる関係者が協働して水災害対策を行う考え方です。

従来の治水対策は主に河川やダム等の整備(グレーインフラ)に重点を置いていましたが、流域治水では以下の3つの柱から成る総合的なアプローチを採用しています:

  1. 氾濫をできるだけ防ぐ・減らすための対策
  2. 被害対象を減少させるための対策
  3. 被害の軽減、早期復旧・復興のための対策

この新しいアプローチでは、国、都道府県、市町村だけでなく、企業や住民も含めた流域のあらゆる関係者が連携し、それぞれの立場で対策を実施することが求められています。

なぜ今、流域治水が必要なのか?

気候変動による水害リスクの増大

気候変動の影響により、短時間に非常に多くの雨が降る「局地的大雨」や、強い雨が長く降り続く「集中豪雨」の発生頻度が高まっています。これにより、従来の河川整備の想定を超える規模の洪水が各地で発生するようになりました。

国土交通省の資料によると、平成30年7月豪雨では高梁川水系小田川で、令和元年東日本台風では長野市穂保地先などで堤防決壊による甚大な浸水被害が発生しました。今後も気候変動の進行により、このような大規模水害のリスクは更に高まると予測されています。

従来の治水対策の限界

従来の水害対策は、主に河川や下水道、砂防、海岸など、行政(治水管理者)によるダムや堤防の整備などのハード対策が中心でした。また、その対策地域も河川区域や氾濫域などに限定されていました。

しかし、気候変動により激甚化・頻発化する水害に対しては、こうしたグレーインフラの整備だけでは対応が困難になってきています。そのため、流域全体で水害リスクを分担し、社会全体で対策を進める「流域治水」への転換が求められるようになりました。

流域治水の3つの柱と具体的な取り組み

流域治水は以下の3つの柱から構成され、それぞれに具体的な取り組みがあります。

1. 氾濫をできるだけ防ぐ・減らすための対策

河川区域や集水域において、洪水を河川内に閉じ込める対策と、流域における貯留・浸透機能を向上させる対策を組み合わせて実施します。

主な取り組み例:

  • 河川整備:堤防整備、河道掘削、ダム建設・再生
  • 雨水貯留施設の整備:調整池、雨水貯留浸透施設
  • 田んぼダムと畔のかさ上げ:水田の排水口に調整板を設置し、雨水の流出を抑制するとともに、畔を高くして貯水能力を向上
  • 森林整備・保全:間伐などによる森林の雨水浸透能力の向上
  • 利水ダムの事前放流:洪水前に利水ダムから放流し、貯水容量を確保

2. 被害対象を減少させるための対策

氾濫域において、土地利用・住まい方の工夫を通じて、浸水被害を軽減します。

主な取り組み例:

  • 水害リスクを考慮したまちづくり:浸水リスクの低い区域への居住誘導
  • 住宅・建築物の浸水対策:高床式建築物、止水板の設置
  • 土地利用規制:特定都市河川浸水被害対策法に基づく対策の推進
  • 輪中堤等の整備:浸水被害を局所的に軽減する堤防の整備
  • 伝統的な屋敷林や宅地のかさ上げ:江戸時代から続く治水の知恵の活用

3. 被害の軽減、早期復旧・復興のための対策

氾濫域において、水害リスク情報の充実や避難体制の強化等を図ります。

主な取り組み例:

  • 水害リスク情報の提供:ハザードマップの作成・周知
  • 避難体制の強化:タイムラインの策定、防災教育の推進
  • 企業BCP(事業継続計画)策定:浸水を想定した事業継続計画の策定
  • 水防体制の強化:水防資機材の備蓄、水防訓練の実施
  • IoT技術を活用した監視システム:マンホール水位観測システムなど

注目の取り組み:歴史的知恵と最新技術の融合

1. 江戸時代から続く治水の知恵

日本には長い治水の歴史があり、特に江戸時代には多くの知恵が生み出されました。現代の流域治水においても、こうした伝統的な知恵が見直されています。

樹林帯(水害防備林): 河川沿いに樹木を植えることで洪水時の水勢を弱め、堤防の決壊を防ぐ役割を果たします。かつては「水害防備林」と呼ばれ、多くの河川で整備されていました。現在も河川工学の観点から有効な治水対策として、再評価・再整備が進んでいます。

屋敷林: 農村部の住宅周囲に植えられた木々の集まりで、強風や雪から家を守る役割だけでなく、洪水時の水勢を弱める効果もありました。富山県砺波平野の「カイニョ」や東北地方の「イグネ」などが有名です。土木研究所の調査によれば、密な屋敷林がある場所では家屋の被害が軽減されることが確認されています。

水害に強い住まいづくり: 水害常襲地域では、宅地のかさ上げや高床式住宅が古くから採用されてきました。また「舟形屋敷」と呼ばれる、周囲を堤防で囲んだ住居形態も各地で見られました。これらは現代の建築技術と組み合わせることで、より効果的な水害対策となります。

2. 田んぼダムと畔のかさ上げ

田んぼダムは、水田の排水口に小さな穴を開けた調整板を設置し、大雨時に一時的に水田に雨水を貯留することで下流への流出を抑制・遅延させる取り組みです。農林水産省の「田んぼダムの手引き」によれば、田んぼダムの効果をさらに高めるために、畔(あぜ)のかさ上げも重要な対策とされています。

国立環境研究所福島地域協働研究拠点の研究では、田んぼダムと畔のかさ上げを組み合わせることで、通常の田んぼダムよりも高い効果が得られることが確認されています。具体的には:

  • 通常の田んぼダム:最大で約80%の落水量低減効果
  • 畔を20cm以上にかさ上げした田んぼダム:越流による畔の崩壊リスクを抑えつつ、より多くの雨水を貯留可能

山形県では、トラクターによる畔塗りやバックホウによる畔のかさ上げを実施し、田んぼダムの効果を高める取り組みが行われています。

3. マンホール水位観測システム

近年の技術革新により、IoTを活用した水位観測システムが開発され、流域治水の重要なツールとなっています。特にマンホール水位観測システムは、都市部の内水氾濫対策として注目されています。

システムの概要: マンホール内に水位計(圧力式やレーザー式など)を設置し、下水道管内の水位をリアルタイムで監視します。収集されたデータはLPWA(Low Power Wide Area)などの無線通信技術を通じてクラウドに送信され、関係者はスマートフォンやPCで遠隔から水位情報を確認できます。

主な特長と効果

  • リアルタイムな浸水リスクの把握が可能
  • 避難情報発令の判断材料として活用
  • 下水道施設の運用最適化
  • 水位と流速を組み合わせた正確な浸水予測

実際の導入事例として、NJSの「SkyManhole」システムでは、マンホール内の水位情報をリアルタイムでクラウドに送信し、浸水リスクを正確に把握することができます。また、応用地質が開発した下水道用水位計は、大がかりな設置作業が不要で、管路内の水位情報を遠隔で関係者に通知することが可能です。

流域治水プロジェクトの推進

国土交通省では、全国の一級水系において「流域治水プロジェクト」を策定し、流域治水の取り組みを推進しています。これは、流域全体で早急に実施すべき対策の全体像を示すもので、国・都道府県・市町村等の関係者が連携して取り組んでいます。

また、特定都市河川浸水被害対策法を含む流域治水関連法の整備により、流域治水の本格的な実践に向けた法的枠組みも整えられています。

私たちにできる流域治水への取り組み

流域治水は、行政だけでなく、企業や住民も含めた流域のあらゆる関係者が連携して進めるものです。私たち一人ひとりにもできる取り組みがあります:

  • 雨水を貯める:雨水貯留タンクの設置、浸透桝の設置
  • 大雨の日の対策:大雨の日にお風呂の水を流さないなどの工夫
  • 避難計画の作成:マイ・タイムラインの作成、避難訓練への参加
  • 防災情報の収集:ハザードマップの確認、防災アプリの活用
  • 地域活動への参加:地域の清掃活動や緑化活動への参加
  • 伝統的な知恵の継承:屋敷林の保全や住まいづくりの工夫を次世代に伝える

まとめ:流域治水の今後の展望

気候変動の影響により、水害は今後もさらに激甚化・頻発化することが予測されています。このような状況に対応するためには、河川整備などのハード対策だけでなく、流域全体でのソフト対策を組み合わせた「流域治水」の考え方が不可欠です。

特に注目すべきは、江戸時代から続く伝統的な治水の知恵と、IoTなどの最新技術を融合させた取り組みです。田んぼダムと畔のかさ上げ、樹林帯や屋敷林の整備、マンホール水位観測システムの導入など、古くからの知恵と新しい技術を組み合わせることで、より効果的な治水対策が可能になります。

流域治水の実現には、行政、企業、住民など流域のあらゆる関係者の理解と協力が必要です。一人ひとりが水害リスクを正しく理解し、自分事として捉えることで、より効果的な対策が可能になります。

また、田んぼダムやグリーンインフラなどの取り組みは、治水効果だけでなく、生物多様性の保全や景観の向上など多面的な効果をもたらします。流域治水の推進は、安全・安心なだけでなく、自然と共生する持続可能な社会づくりにも貢献するものです。

私たち一人ひとりが流域治水に関心を持ち、できることから取り組むことが、水害に強い地域づくりの第一歩となるでしょう。


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